2009.11.21 COEづくし!
明日から、COEのメイン・イベントづくしの三日間です。

京都大学では、Next-Generation Global Work Shop の運営で、この数週間ずっとバタバタしております。

去年は、運営と報告を同時にやりましたが、今年は運営に専念です。いいイベントにしようと頑張ってきたので、楽しみです。

ただ全日程は参加できなくて、明後日は、慶応大学COE関係の国際共同シンポジウムで報告です。

粕谷先生がコーディネートしてくださったおかげで、無茶苦茶有名なフィリピン政治研究者たちが集います。その末席を汚させて頂く運びになり、大変光栄です。憧れの研究者たちに会えるのでドキドキです。

今回は、マニラの露天商について報告するのですが、以前の研究からあまりアップデートをする余裕がなかったことが残念です。ただ、英語で海外の研究者に報告をする意義はあるかと・・・

本当は不法占拠者の話も絡める予定たったのですが、十分な調査をする余裕がなく、やむをえず露天商のみになりました。

院生の時のようにはじっくり研究に専念する時間がないので、日々の大学業務に追われながらも研究を進めていく方法を身につけないといけないと痛感しています。


11月6日は、フィリピン社会研究会において、「二重公共圏の形成:教育、言語、メディアに着目して」と題して報告。有意義なコメントを沢山頂きました。遠方から来られた方も多く、どうもありがとうございます。

11月7日は、京都府国際センター主催のコミュニティ通訳研修で報告。他の報告者の方々からも大変興味深い事例を聞くことができました。「コミュニティ通訳」という概念が作られたこと、そしてそれを行政が主催していることが大きな前進だと思います。コーディネートしてくれた飯田さん、ありがとうございます。

ところで、フィリピンでは、すっかりクリスマス・シーズンですね。私は、お友達から紹介してもらったABS−CBNの映像に思わず、涙が。批評・分析精神のかけらもありません。

歌詞は、闇から光へ、苦難から幸福へ、束縛から自由へ、というイメージについて歌っています。Dumaan man sa malakas na alon, lahat tayo ay makakaahon. ひどい苦難を乗り越えてきたじゃないか。でも、私たちみんな苦しみから逃れて自由になる。




貧困層の子供、兵士や警察、海外契約労働者、建設労働者、裕福な都市中間層を体現する芸能人の数々、みんながそれまでの苦労を乗り越えてクリスマスの多幸感を共有するイメージですね。

もちろん、こうした多幸感にもとづくコミュニタス的な共同性を、圧倒的な不平等や不正義を隠蔽する「虚偽意識」として批判することはたやすいです。

ただ、私の具体的に知っているフィリピンの人びとが、こうした具体的な光のイメージを求めて、日々の苦難に向き合っていることは事実だと思います。だから、何だか目頭が熱くなってしまうのでしょうか。

そういえば、闇から光へ世界が転換するというイメージの共有は、レイナルド・イレートのPasyon and Revolution が、スペインに対する民衆蜂起を可能にしたものとして指摘したものであります。

Sana makakaahon tayong lahat.

今日はフィリピン人の友人に頼まれて、大阪でフィリピン・コミュニティの水泳大会の審判をしてくれと言われていたのですが、連絡がとれず。

仕方がないので、代わりに、11月7日に京都府国際センターで行われる、コミュニティ通訳研修で話をさせて頂く内容を完成させて、提出。

「タガログ語コミュニティ通訳−家庭裁判所における調停通訳の現場から」 と題してお話させてもらいます。

今日は、久しぶりに裁判所でのタガログ語通訳。まあまあ良い結果になりました。「始めからあなたが通訳だったら、こんなに長引かなかったのに」なんて、嬉しすぎるほめ言葉です。


読書日記。本自体は、トピックが拡散していてまとめにくいので、主に結論部(pp. 149-152)から。

Raul Pertierra et al. 2002. Txt-ing Selves: Cellphones and Philippine Modernity. Manila: De La Salle University Press.

フィリピン人は、もっぱらテクスト(文字メール)を送受信するために携帯電話を用いている。それは経済的な理由であると同時に、伝統的な口述性(orality)に依拠しているためでもある。

フィリピン人は、携帯電話を実務的目的のために用いることもあるが、もっぱら他者と連関するために用いている。この連関(contact)は、道具的、認知的であるというよりも、もっぱら象徴的で儀式的である。

フィリピンにおいて、携帯電話は、もっぱら家族や通常の社会的関係を維持し、再生産するために用いられている。携帯電話が、公共圏と国民的生活(national life)を強化するとは考えられない。むしろ、公共的生活を分断化させる傾向がある。なぜなら、携帯電話(のテクスト)は、儀式的な継続的コミュニケーションを可能にする一方で、実質的な対話を妨げるからである。携帯電話は、連関性(connectivity)を可能にするが、それは経済発展や政治改革をもたらすものではない。

携帯電話は、フィリピン人を連関(connect)させるが、それは仮想現実的なものであり、実社会におけるものではない。実社会における連関が実現するためには、強力な公共的文化、強固かつ再配分的な経済、そして効率的な政体といった構造が必要である。そのような構造がなくては、携帯電話は、フィリピン人に単に仮の基礎(tentative “grounding”)を与えるに過ぎない。そのような基礎は、フィリピン人を、些細なこと、陳腐さ、日常の気まぐれなどで連関させるにすぎない。

携帯電話は、フィリピン人が直面している近代の諸問題を解決する力は持たないが、その不安感、不確実性、平凡さや陳腐さを共有することを可能にする。意味が過剰な世界において、携帯電話は、我々の手持ちの只のおしゃべり、些細な情報、根拠のない恐怖、すり減った真実などでもって、フィリピン人同士をつなぎとめる。

エストラダを追放したEDSAIIをめぐる論評にみられたように、携帯電話はそのものとして重大な力を持つように思われる。しかし、その力は、非意図的で予測できなかったものであるにしても、人間が用いた結果であるに過ぎない。

2009.10.19 台風の余波
今日は、たまっていた大学の業務を固めて処理。午後で大体全て終えてすっきりです。

フィリピンでは、かねてから予想していた通り、先月9月26日の台風オンドイによる洪水被害を受けて、政府が不法占拠者の再定住プロジェクトに乗り出そうそうです。連日、この問題をめぐるニュースが報道されています。

マニラの友人たちは、みんな不安のまま成り行きを見守っているんだろうなあ。

川沿いの貧困地域の被害が大きかったという理由なのですが。アロヨ大統領は即座の移転を命じて、最高裁はマニラ首都圏開発庁と公共事業省に、川沿いの不法占拠家屋の取り壊しを命じたとのこと。もちろん、強制移動ではなくて、低価格住居を郊外に作ってそこに移動させるというのですが、果たしてどうなるのでしょうか。

都市貧困地域をめぐる政治から、目が離せないような感じです。

Metro squatter relocation to cost P32B


2009.10.18 書評脱稿
先ほど、書評を1つ脱稿しました。

昨夜、フィリピン系移民研究者の永田さんに原稿をチェックしてもらって、ちょっと修正をしてからの提出です。

書評をさせて頂いたのは、次の本です。

木下昭.2009.『エスニック学生組織に見る「祖国」――フィリピン系アメリカ人のナショナリズムと文化』不二出版


私は、著者の方とは面識がないのですが、とても興味深い事例が多く、大変勉強になりました。私にとって一番おもしろかったのは、「第5章 告発されるフィリピン生まれへの「いじめ」」です。

本書によれば、アメリカ出身の二世は、新たに移民してきた同世代の一世が持つフィリピンの属性(英語の訛りなど)を蔑視しがちなのです。しかし、大学におけるエスニック・スタディーズでのフィリピン系教員との出会いや、学生組織での活動は、心の脱植民地化と、祖国に対する肯定的評価をもたらします。そして、一世が持つフィリピンとのつながりも肯定的に捉え直されるようになります。そして、この生地間対立をめぐる「懺悔」と「克服」は、学生組織のイベントにおける主要なテーマになっているというのです。
2009.10.17 40年間の仕事
家から研究室に行く途中に、ばったりフィリピン研究の先輩のいしいさんに会いました。

岡先生がコーディネートしている、広河隆一さんのパレスチナのドキュメンタリー・アーカイブ上映会があって、その手伝いをしているとのこと。

フライヤーを見て興味深かったので見に行ったところ、映像や証言のすごさもあるのだけど、40年も同じ問題にコミットし続けている広河さんの仕事に対する態度や意志につよい感銘をうけました。

それと同時に、最近の自分は、日々締め切りや書類をこなしていく中で、小手先で体裁を整えることばかり上手くなったけれども、肝心の仕事の中身が薄まっているのではないか、と危機感を覚えました。

このままじゃあかんです。もっと誠実に、もっと初心に戻って仕事をしないと。


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■広河隆一写真展「パレスチナ 写真が語る真実」

真実はいかにして一枚の写真に凝縮されうるのか、この機会に、じっくりご覧ください。

[会期] 10月17日(土)〜25日(日)
[時間] 10:00〜19:00(ただし、24日は18:00、25日は15:00まで)
[入場] 無料
[会場] 京都大学 吉田南キャンパス 人間・環境学研究科棟
      1階&地下スペース

■広河隆一監督『パレスチナ・1948 NAKBA』(アーカイブス版)上映会

同名の劇場公開版とは異なります。
全30巻、45時間にわたるアーカイブス版、広河隆一さんの40年にわたる
パレスチナ取材の集大成です。今回は、うち18巻分を上映します。
滅多に観る機会のない、貴重な作品群です。
テーマ別になっていますので、ご都合の良い時間に、興味のある章をご覧ください。

[会期] 10月17日(土)〜23日(金)(ただし20日(火)は除く)
[時間] 末尾のプログラムをご参照ください。
[入場] 無料
[会場] 京都大学 吉田南キャンパス 人間・環境学研究科棟 
       地下講義室

■広河隆一講演会「ジャーナリストという戦場〜中東取材40年〜」

なぜ、何のために、何を語らしめるのか・・・?
一瞬の真実を一枚の写真に凝縮させることに、命を賭けてきた、
フォトジャーナリストが凝視してきた中東とは・・・?

[日時] 10月24日(土) 13:30〜17:30(開場12:30)
[入場]  資料代1000円
[会場] 京都大学 吉田南キャンパス 人間・環境学研究科棟
      地下講義室 (定員180名)
    * 満員の際は入場をお断りすることもあります。
Tupas, T Ranni, F. 2007. Back to Class: The Ideological Structure of the Medium of Instruction Debate in the Philippines. in (Re)making Society: The Politics of Language, Discourse, and Identity in the Philippines, ed., T Ruanni F Tupas. Quezon City: The University of the Philippine Press.

 1974年憲法によって開始された英語とピリピノ語(フィリピンの各言語を元にして作られるとされる未完の国語だが実質はタガログ語とほぼ同じ)のバイリンガル教育は、英語教育がアメリカによって導入されて以来、土着語による英語への深刻な挑戦であった。それ以来、大衆層からの視聴者獲得のためにタガログ語を積極的に用いるようになったマス・メディアの力を借りて、ピリピノ語(の領域はいっそう拡大していった。バイリンガル教育は、経済的機会へのアクセス手段としての英語、アイデンティティ探求のためのピリピノ語として正統化されてきた。

 それまで非タガログ・エリートはタガログ語教育に激しく抵抗してきたにもかかわらず、バイリンガル教育によって、それは懐柔され、おとなしくなったのだろうか?(62-63)

 2003年1月にアロヨ大統領が行った、英語を第一教育言語に「戻す」べきだという主張は、多くの反響を呼んだ。

 まず、新聞における多くの論者は、英語能力の低下、グローバル経済における競争力、国語なきナショナリズムを掲げて、この主張を支持した。

 次に、批判者は、ピリピノ語を第一言語とした憲法への違反、「英語に戻れ」という声明の非妥当性(英語は学校教育と者秋において重要な役割を果たし続けている)、土着語が最も児童の教育効果に成果をあげるという研究成果を指摘した。これらの批判において、特徴的なのは、かつて盛んであったナショナリズムの言説とイデオロギーが避けられ、より受けられやすい主張がなされていることである。しかし、英語の第一言語化支持者は、その批判者をmisplaced nationalismだとして、かつての図式で批判し続けているので、これらの新たな論点は十分に答えられていない(63-69)。

 それから、非タガログ話者のコラムニストは、アロヨの声明を積極的に支持した。興味深いことは、非タガログ話者による教育用語としてのピリピノ語への反感は、彼らの土着語ではなく、英語の支持になることである(71-72)。

 英語は、ethnic-freeであるが、決してclass-freeではない。「良い」英語を話す能力を得るための教育へのアクセスは、階級によって大きく異なる。しかし、近年の教育言語をめぐる議論では、階級の問題が抜け落ちてしまっている。事実、教育言語をめぐる論争は、エリート間の論争に過ぎず、英語にアクセスできない大衆層はそこから抜け落ちている。

 バイリンガル教育が、非タガログ・エリートの反発を懐柔したのは、それが共に英語に流暢なエリート間の妥協であったからである。タガログ・エリートは国語としてピリピノ語を促進することができたし、非タガログ・エリートは英語教育を維持することで、徹底したピリピノ語教育によって周縁化されることを防ぐことができたのである。
 フィリピンでは、英語が富裕層の言語であるにもかかわらず、あるいはそうだからこそ、根強い地域主義は少数言語の権利を主張していくのではなく、英語とその権力へと引き寄せられていったのである(73-75)。

また、2カ月も更新が滞ってしまいました。締め切りが迫っていたりして、いったん更新をする習慣が抜けると、怠け癖がついてしまいます。何とかしたいものです。

これから、また読書日記を再開していきたいと思います。

もちろん、この間には研究をさぼっていたわけではなくて、9月には英語原稿を1本を、今月は書評を1本を書き上げました。ふう。

あとは博論をもうちょっとと、年明け締め切りの原稿が1つ。頑張ろう。


今日は、GCOEのコミュニティ研究会。「コミュニティ」「土地」「空間」をめぐる越智さんの報告は大変勉強になりました。

デランディのような構築主義のコミュニティ論から、「土地」や「身体性」をよりどころとして距離を取っていこう、というのが研究会の1つの課題になってきたようです。

にしても、越智さんの博学ぶりには脱帽です。


今日の昼は、日本の超一流企業に就職するフィリピンの方にインタビュー。

「自分は、常に競争のあるところに行きたい。チャレンジングであればあるほど、モチベーションがあがる。自分はそうやって競争に勝ってきた。」

自信に満ちて、また厭味を感じさせずに、そう語る彼に対して率直に畏敬の念を抱いてしまいました。


それから、『ピープルズ・プラン』という雑誌に、斎藤純一先生の『政治と複数性』の書評を書かせて頂いていたのですが、先ほどようやく脱稿しました。一週間ほど前に提出していたのですが、編集の方から大変勉強になるコメントを頂き、加筆・修正をしたうえでの提出です。

論点の一つとして、周縁化された人びとの「弱さ」と、アーレント的な「現われ」に必要な「強さ」をどう関連づけられるのか、という点について書きました。また、様々な現場で活動されている方々を読者と想定して、理論と現場をつなげることを意識してみました。

書評を書くとなると、通常以上に真剣に文献と格闘することになるので、とても良い勉強になりました。原稿を出して、印刷を待つ間が一番楽しいです。
先週の週末は、早稲田大学で開催されたフィリピン研究会全国フォーラムで報告。

この研究会独特の「仲間感覚」が暖かくもあり、怖くもあり。気心しれた友人からよりも、若手研究者からの質問の方が鋭くてドキドキします。さらなる切磋琢磨のためにも、微温湯につかる気分ではいけませんね。私の「二重公共圏」のアイディアには賛否両論があるようで、クリティカルな意見をもっと聞きたかった気もします。

今日は、COE関係で「グローバル化とマージナリティ」研究会

内海さんのマクロな話と、木場さんのミクロな話を続けて聞いて、視座のものすごい上下運動を経験しました。木場さんが報告したマニラの貧困層とグローバルなNGOとの関係についての事例は私にはとても面白いのですが、理論研究を専門している社会学者にとってはどうなのでしょうか。いろいろな角度から分析できる事例だと思うのですが。

来週水曜は、職場のCOE関係でコミュニティ研究会と、コミュニケーション研究会が連続であります。なんだか名前がややこしいです。コミュニケーション研究会では、私が齋藤純一『政治と複数性』の書評を執筆中ということで、これについて報告をするのですが、まだ全然まとまっていません。
これまでドタバタして落ち着けなかったのですが、週末にじっくり考えてみたいと思います。

今週末は、日本比較政治学会で多くの報告を聞き、大変勉強になりました。報告者の方々の優秀さ、頭脳明快さに少々落ち込みながらも、良い刺激を受けたと思います。

九大時代の恩師の岡崎先生とも久しぶりにお会いできてうれしかったです。博論の草稿に目を通してもらい、何とか夏で形にしようというと思いを新たにしました。

明日からは、参加させて頂いている科研調査でマニラです。これまでは、いわゆる「大衆」と呼ばれる人たちを対象に研究をしてきたのですが、今後は政治家や官僚の方たちとも付き合って、研究をしていきく必要性を感じています。

もちろん、不法占拠地のフィールドから出ていくつもりはないのですが。あそこは、やっぱり「帰る場所」なのですね。いずれ民族誌的な論文も書きたいです。
2009.06.21 学会報告2つ
 この2か月で学会報告がふたつあるせいか、ここのところ、すっかりブログから足が遠のいてしまいました。6月は、東南アジア学会第81回研究大会で「フィリピン市民社会における『道徳的対立』の限界」というタイトルで、報告させて頂きました。
 私の報告を聞いてくださった皆様、どうもありがとございます。とりわけ、忌憚のないご意見を聞かせてくださった皆様には本当に感謝しております。
 この報告で、特に印象的だったのは、学部時代の恩師である坪井先生が聞いてくださったことです。こんなことは学部ゼミでの報告以来で、おそらく10年ぶりくらいになるはずです。後で私の報告について厳しい指摘も頂きましたが、長く続けてきてよかったと改めて思いました。
また、この学会では、運営委員としても関わったので、多くの先生方、院生の方々と親しくなることができました。報告と準備を掛け持ちする負担はありましたが、人づき合いという点では、共同作業はいいものですね。

 7月は、11、12日に早稲田大学で開催されるフィリピン研究会全国フォーラムで報告をします。早稲田で報告するのは、やはり大学を卒業してから初めてです。報告内容がなかなかまとまらず非常に苦戦しておりますが、がんばります。
青山和佳.2008.「開発援助を眺める − 経済学から人類学的実践への旅」『国際開発研究』第17巻2号、23−33頁.

 フィリピンにおける「貧困」研究をめぐって経済学から人類学へと「旅」をしてきた著者が、開発をめぐる2つのディシプリンの関係を丁寧に整理した論文。両者の考え方、アプローチの違いが明確に整理されているので大変勉強になりました。現在主流のアメリカ政治学が、経済学の理論に基づいていることを考えれば、人類学と政治学との間をウロウロ勉強してきた私にとっては、この「旅」のリアリティは他人事ではありません。自分としては、アカデムでは、政治学の土俵で、人類学の技を使って勝負していきたいと思います。 
 また、修士課程のときにポスト・モダン人類学のゼミで勉強した「研究者のポジション」についても久々に考えました。現場における「当事者性」ないし「実践」については、フィリピンでご飯を食べていることの罪滅ぼしに、求められればできることをするという対症療法を続けていく程度でしょうか。私の場合、研究と「実践」は見事に乖離したままです。明日も裁判通訳なのでした。

2009.04.25 報告書提出
福岡アジア都市研究所から昨年度いただいた「若手研究者研究活動助成」の助成報告書を作成、提出しました。おかげさまで大変充実した調査ができました。本当にどうもありがとうございます。

今日はこれからNGOの事務所で裁判所通訳の打ち合わせです。大雨の中を外出するので、びしょ濡れになりそうです。

2009.04.19 大反省
昨日は、東南アジア学会関西例会で報告させて頂きました。

一緒に報告をした木場さんの方は都市貧困層の運動をプリンシパル・エージェント・モデルを用いて説明した大変素晴らしい内容で、私がかつて聞いた中でもベストのものに入ると思いました。

私の方はというと大反省です。明らかに準備不足で、素材だけ提示して、足りないところは皆様のコメントを元にして今後の研究に役立ていていこうという気持ちだったのですが、大変甘かったです。

かつての指導教官には、「それはゼミで報告する院生の態度です。毎回毎回、真剣勝負をしなさい」、という有難いお叱りの言葉を頂きました。

驚いたことに、わざわざ東京や九州から来られた方もいました。そうした方々にも来たかいがあったと思っていただくために「もっと芸をするべきだった」と大反省をしております。

わざわざ来てくださったのに、報告する側が「教えてください」では、謙虚なようで大変失礼な話です。

そもそもテーマが「フィリピン市民社会論の再検討」だったのですが、私の報告では、新しいフィリピン市民社会論を積極的に提示しようとはしなかったので、羊頭狗肉になってしまった感があります。

今年は4つほど大きな報告がありそうです。
6月の東南アジア学会全国大会、7月のフィリピン研究全国フォーラム、11月の慶応の英語シンポジウム、11月のCOE国際ワークショップ、これらでは一切の甘えを排除して、しっかり芸を仕込んでいこうと思います。

昨日きてくださった皆様、どうもありがとうございます。今後も精進していきますので、どうぞよろしくお願い申し上げます。

拙稿が出版されましたので、宣伝させて頂きます。

日下 渉.2008.「フィリピン市民社会の隘路−「二重公共圏」における「市民」と「大衆」の道徳的対立」『東南アジア研究』46(3), pp.420-441.


出版そのものはうれしいものの、拙稿に関しては修正したい点がいくつかあります。とりわけ、複雑な階層意識の様態をやや単純化しすぎた点について修正したい気持ちが強いです。

多様性を単純化していく言説の作用に着目したとはいえ、この点については批判が多そうです。

4月18日に行われる東南アジア学会関西例会の報告では、拙稿を修正するために、「道徳的対立」の図式に合致しない多様性や反例について論じたいです。


いずれにせよ、忌憚のない批判とアドバイスをいただければ幸いです。どうぞよろしくお願い申し上げます。


Abinales, Patricio N. 2008. “Notes on the Disappearing ‘Middle’ in Post-Authoritarian Philippine Politics. in The Rise of Middle Classes in Southeast Asia, Shiraishi Takashi; and Pasuk Phongpaichit eds., Kyoto University Press and Trans Pacific Press. pp.176-193.

 なぜ、国家がより抑圧的ではなくなり、また左派などの「闘争的」政治さえも取り込むようになってきた時に、選挙外での大衆的動員は後退したのであろうか? 同様に、なぜ中道的な(穏健な)政治は、この時期に周縁的になってきたのであろうか?
 この政治的中道(political middle)の消失は、独裁制から民主制への移行の性質と、中道派組織が参加した連合の影響にある。
 ポスト権威主義体制の支配が落ち着いてくるなかで、政治家族、ウォーロード、パトロネージ政治屋、政治化した軍人は、次第に抵抗運動に連なるリーダーや組織、とりわけ非・反共産主義者とかかわらないですむようになってきた。
 非・反共産主義者、いわゆる「中間勢力」の方でも、彼らは、その動員能力の減退と、リーダーが持続的な抗議に従事するよりも国家と働くことを好むようになったことにより、自らの周縁化を覆すことができなかった。
 他方で、1990年代におけるフィリピン共産党の再興と、非共産主義左派組織の選挙における成功は、中道派の弱体化をさらに推し進めた。様々な中道派組織の中で取り残された人々は、完全に体制と共に働いて保守的な政治秩序の付属物になるか、非共産党左派の合同に参加していったのである。(176-77)

 「中道派」とは、イデオロギー、好む活動モードと組織形態によって軍事的右翼とも共産的左翼と自らを区別する勢力である。イデオロギーは自由民主主義およびまたは社会民主主義であり、活動モードは大衆蜂起も含む非暴力的抗議であり、組織形態は平等的連合である。こうした中道派勢力は、マルコスとエストラダに対抗して、無関心の中間層を茫然自失から目覚めさせ、動員する役割を果たしてきたといわれている。(177)

 民主化後に広まった中道派および改革派と政治家の協働は、統治の専門性と効率性を高めた。しかし、この脆弱な関係は長続きしなかった。国家を内部から変革しようとする試みには否定的な側面があり、それは中道政治の結果的な後退の要因にもなったからである。第1に、協働関係は、同僚の政治家や国家リーダーに対する批判に制限をもたらした。第2に、中道派が支配した部局ではより良い運営が行われたが、その改革的エートスは政治家が支配する他の部局へとは広まらなかった。第3に、アキノ政権が次第に保守化していった時に、NGOは政権を中道に戻すためにほとんど何もできなかった。(179)
 
 左派と右派の攻撃から政権を守るために中道派に頼る必要性があったアキノとは異なり、アロヨは彼女の権力を固めるために中道派をほとんど必要としない。政治家と軍人だけで十分だからである。(182)

 2004年選挙において、中道政治の後退はどん底まで落ちた。アロヨや他の候補たちは、キリスト教原理主義者に頼り、また共産党とは事実上の選挙協力にはいった。(183)

 バヤン・ムーナによる共産党の選挙における成功は、中道派を窮地に追い込んだ。中道派にとって、彼らの方がよりうまくやっていけると思っていたアリーナにおいて、地下の左派が「中道勢力」よりも優位に立ったからである。中道派は、二つの方法で対応した。まず、Akbayanのような共産党から追放された勢力に参加していった者がいた。その結果、中道派は、元共産主義者に主導権を譲り渡したものの、アキノ、ラモス期の妥協によって失った輝きを幾分取り戻すことができた。次に、PDSPのように伝統的政治家と運命を共にする者がいた。(184-185)

 しかし、選挙政治における共産党の成功は、短命であるかもしれない。2004年選挙以降に始まったバヤン・ムーナに対する政治的殺害の意図は、革命の進展にとって決定的な構成要素である合法的大衆運動をバヤン・ムーナが立ち上げるのを防ぐためであるように思われる。同時に、政治的殺害は、都市ネートワークから農村部リーダーを奪うことでそれを不安定化させ、合法組織が潜在的な同盟者である「中間勢力」と結びつくことを防ぐことを意図している。(185)

 アロヨの不正選挙疑惑に対する「ピープル・パワー」の呼びかけが頓挫したことに、フィリピン政治における中道が消滅したことを示す最終的かつ顕著な要因が存在する。換言すれば、フィリピンの抗議政治において決定的に重要であった歯車の不在である。
 この要因を「抗議疲れ」に求める説明がある。しかし、それだけではなく、中間層は政治だけでなく、海外移住にみられるように国そのものにも背を向けるようになったのである。そして、それは左派と中道派にとって、彼らが国内政治において前進的な存在感を維持する能力に深い影響を与えている。要するに、中道派を悩ます反動員ウィルスとして始まったものが、左派にまで感染したのである。(186)

 中間層は、もはや主要な政治運動の指導者の供給源ではない。最終的な階層の二分化というマルクス主義の予言は、フィリピンの近未来にあっているのかもしれない。それは、フィリピンの政治発展において二度の決定的な役割を果たした中道政治にとって悪い前兆である。(188)
Encarnacion-Tadem, Teresa S. 2008. Situating NGO Advocacy Work in Middle Class Politics in the Philippines. in The Rise of Middle Classes in Southeast Asia, Shiraishi Takashi; and Pasuk Phongpaichit eds., Kyoto University Press and Trans Pacific Press. pp.194-216.

NGOは、一般に左派活動の経歴を持つ中間層出身者によって構成されている。

 NGOは、社会で「意識的市民」(concerned citizen)として決定的な役割を果たす機会と力を持つ中間層の知的セクターの一部である。(195)
 
 NGOは、中間層の特質をもっており、社会の民主化プロセスにおいて決定的な役割を果たすこと示した。NGOは一般的に、アドボカシー活動に必要な技術的能力と政治的な組織化の技能を有する知識人である。彼らは、調査や文書作成、政府やエリートに対するロビーイングや戦略的前進といった中間層の技能を有している。このプロセスにおいて、彼らは、利益を共にする他の社会集団との連携を築くことができる。しかし、他の中間層とは異なって、NGOは自らを中立的ではなく、貧困層派だと考えている。
 一般に、新自由主義の諸原理は、エリートと国家主導の介入経済に反対する中間層と関連付けられる。しかし、NGOは、私的セクターも汚職し非効率になりうるとみなす。彼らは、深刻な不平等が存在し、有効な調整機関が欠如した社会では、民営化はエリートの利益を促進するととらえる。
 さらに、NGOは、民営化が重要な非経済的な目的に対して、商業性のみを強調していると理解している。もっぱら利潤を追求する中間層のメンバーは、この価値を必ずしも共有しないだろうが、たとえば環境のようなイシューは中間層が利潤を犠牲にしても共に擁護できるだろう。しかし、経済政策の民営化は、中間層が強力に反対するイシューには思われない。
 NGOは、連携工作、すなわち下層と上層階級のメンバーをまとめあげていくにあたって中心的な役割を果たしている。
 NGOの課題のひとつは、労働力や財政といった資源不足である。もうひとつの課題は、下層階級の参加を取り付けていくことである。すなわち、いかに効率的にNGOが持つ知識を、下層階級のために実践的・現実的な解決に向けて転換していくかである。(210−212)
先週の日曜日にフィリピン調査から帰国しました。

収穫はいろいろあったので、これからのデータ分析が楽しみです。
今回の滞在中も多くの方のお世話になりました。どうもありがとうございます。


それでは、久々の読書日記を少し。

Takashi, Shiraishi. 2008. “The Rise of Middle Classes in Southeast Asia” in The Rise of Middle Classes in Southeast Asia, Shiraishi Takashi; and Pasuk Phongpaichit eds., Kyoto University Press and Trans Pacific Press. pp.1-23.

 中間層は単一的な国民文化のみによってではなく、むしろ市場とグローバルな文化と金融の流れとのネットワークによって構成される。それゆえ、中間層意識は、国民政府と、国内・国際市場との相互作用によって形成される。(1)
 第二次大戦後のアジアにおける中間層の成長の特徴は、この地域におけるアメリカの軍事的、知的、文化的ヘゲモニーによって形成された程度の大きさである。(1‐2)
 中間層の創造は、共産主義に対抗するための、アメリカによるイデオロギー的ビジョンであった。また、20世紀におけるアメリカ中間層の形成(消費とライフ・スタイルに依拠する)は、アジア中間層の形成と自己表象を媒介している。(3)
 冷戦末期に生じた東南アジアの都市部における中間層の登場は、中間層形成の第三の波を表わしている。タイ、フィリピン、マレーシア、インドネシアにおける中間層の形成は、異なる政治・社会的構造のもとで生じ、異なる経路を歩んできた。(4)

フィリピンの中間層
 フィリピンでは、その他東南アジア諸国よりも先んじた教育の普及が、教育を受けた専門、ビジネス、技術職を育てた。これらの中間層は、マニラに集中し、国家官僚制よりも私的セクターに依拠していた。80年代以降、経済的停滞により労働力の輸出政策がとられたことが、中間層を含む労働者の後退を説明する。フィリピンの中間層は、農民、労働者、都市貧困層から区別された集団として強い認識を抱く。国家への依存が弱かったことから、中間層の一部は様々な社会運動の中心となってきた。 要するに、停滞した経済発展は、フィリピンの中間層を、数の面での成長を妨げ、農民から社会的に分断させ、政治的に顕著だが分裂して、より大きな社会的連携に依存し、この20年の間分散させてきた。(7−8)
 もっとも、経済自由化の流れの中で、華僑エンタープランナーを中心とする新都市中間層が台頭するという変化も生じている。
 民主化以降のフィリピン政治とタイ政治は興味深い対照を見せている。フィリピンの中間層は、文化的ヘゲモニーが欠けており、議会と政府を獲得することができないため、中間層勢力は親体制と反体制の位置の間を揺れ動いている。中間層は、伝統的政治家と革新的活動家による定期的競合に特徴づけられる選挙政治の窮地の中で分裂したままである。(7−9)
 
各国比較のまとめ
 タイの中間層は、社会的に凝集性が強く、文化的に自己主張が強く(assertive)で、政治的に野心的である。マレーシアとインドネシアの中間層は、社会的に分断され、国家に依存しており、政治的に自己主張が強いが弱体である。フィリピンの中間層は、社会的に凝集性がやや強く、国家への依存度は弱く、文化的に支配的であるが、政治的に揺れ動いている。(15)

 アジアの中間層は、共通の地域的なライフ・スタイルを発展させてきた。20世紀の中間層は、「スタンダード・パッケージ」によって定義することができるだろう。(16)
フィリピン調査も残すところ後2週間になりました。有意義な時間を過ごしていきたいです。

今日は、友人の誘いで、フィリピン青年会議所(JAYCEE)の会食に参加してきました。そのほとんどは、華僑系のビジネスマンです。当然ながら、彼らのフィリピン政治と社会に関する見解は、これまで接してきた貧困層とも、左派系の活動家とも、弁護士や医師などの専門職とも、大学教員などの知識人とも異なっていて大変勉強になりました。とりわけ、彼らが、貧困層からの期待と敵意をいかに感じているのかが興味深かったです。

Garrido, Marco. 2008. “Civil and Uncivil Society: Symbolic Boundaries and Civic Exclusion in Metro Manila” Philippine Studies 56(4).

 本論には、3つの主張がある。(1)地位の差異を通じて階級が文化的にいかに表現されるのかに着目することで、階級は分析の生産的様式になる。(2)マニラ首都圏では、「大衆」(masa)と「非大衆」(di masa)を区別することは、都市への権利を主張する2つの階級的地位を区別することである。(3)市民社会と非市民社会の象徴的分類は、組織化された道徳的に正統な市民運動としてのエドサ2の表象と、組織化されず、道徳的に非正統で、エリートに操作されたエドサ3という表象を説得的なものにした(informed)。(444)

 第三世界における都市貧困層の増加を指摘する研究はある。また、成長する都市中間層のライフスタイルと政治的重要性を記述する研究もある。しかし、文化のレベルにおける日常的な相互作用と、その政治的帰結は考察されていない。とりわけ、日常的な境界が、公共圏において「市民的排除」(civic exclusion)のメカニズムとして機能しているのであろうか? 逆に、日常的境界はいかに市民的排除に挑戦し、それを再形成するように用いられているのであろうか?(449)

Masa とdi masa
 Masa (jologs, bakya, baduy, promdi, etc)は、洗練されていない農村から都市への移住者のイメージを喚起する。1956年に出版されたテオドロ・アゴンシリョの『大衆の反乱』が、この語を一般化させた。60年代から70年代にかけて、左翼運動の多大な影響の下で、この語は普及していった。この当時、masaは「人民」(the people)のような意味をもっていたが(賞揚される「人民民主主義」のように)、次第に貧困、洗練の欠如、無知と密接に関連づけられた粗野性(vulgarity)の含意を発達させていった。そして、この語は、皮肉にも民主主義の過剰を意味する「the great unwashed」のようなものを意味するようになった。
  Masa とは、自らのポジションを標準的なものとして確立し消し去るために、自らから区別しなくてはならない「他者化されたポジション」である。Masa と di masaの区別は、文明化(civilized)と非文明化(uncivilized)という植民地的区別に由来するように思われる。Masaは、貧困だけでなく、近代的文化コードを流暢に利用できないことを意味する。ブルデューの言葉でいえば、文化資本の欠如である。フィリピンの文脈では、正統性は「近代」志向に関連付けられている。フィリピンにおいて最も強固な文化資本は、西洋のライフスタイルを真似るか、それをフィリピン流にすることだと思われる。この近代への志向性は、主に家族と教育制度を通じて教え込まれる(450-451)。

都市への権利
 象徴的な境界は、空間的な境界に反映されるだけでなく、それを規制し、強化し、時には再生産する。
 マニラ首都圏は、分離した空間が象徴的境界によって分離されたままに維持されたパッチワークである。近代的セクターと大衆的セクターは事実として(in fact)近所が、真実として(in truth)ではそうではない。
 象徴的な境界は、「恥」によって上から監視される。一般に、自分よりも裕福な人びとと一緒にいたり裕福な場所にいると、恥じ入ってしまうのである。(Pinches 1988の引用)

市民社会と非市民社会
 フィリピンの文脈において、市民社会は、特定の規範的、政治的コミットメントのセットによって団結した「組織化された市民」(organized citizenry)としてもっとも適切に定義されている。これらのコミットメントは普遍的なものとして描かれる一方で、実際の市民社会は、おおむねNGOと専門家組織によって構成される中間層市民の表出である。倫理的プロジェクトとしての近代という概念が、市民社会を活性化している。その提唱者は、彼らの指導の下におけるmasaの取り込みという見地から自らの役割を構想し、masaとの適切な関係を指導的(それゆえ規律的)に捉えている。もちろん、この概念は、市民社会からのmasaの排除を前提としており、市民社会はmasaを積極的に排除している象徴的境界を隠蔽している。
 市民的排除は、しばしば教育と関連づけられるが、より適切には言説の支配的な規範との文化と道徳の適合性を示す変数である「市民的能力」(civic competence)に基づいて作用する。そのような適合性の欠如は、話しまた聞かれる民主的権利を減じさせ、あるいは少なくとも媒介する。
 なぜmasaは、その人数にもかかわらず、より聞かれなかった(count for less)のかという問いは、エドサ3の核心にある。言い換えれば、最も重要な問題は、「状況を定義する」権威(文化資本)と自らの定義を客観化(客体化)する資源を有する自称近代的セクターによる象徴的支配なのである。
 我々は、この文脈において、この象徴的支配からの離脱、masaの急激かつ凶暴な視認性としてエドサ3の重要性を理解しなくてはならない。エドサ3の参加者は、承認の政治従事したのである。つまり、非視認性、日常的な中傷に挑戦する政治である(456)。

 エドサ2とエドサ3は、互いに対抗するシティズンシップのパフォーマンスであった。エドサ2によって示されたのは、良い統治、法治主義、非人格的な官僚主義、民族主義といった規範的理念に基づいた概念であった。このシティズンシップは、masaとの暗黙の区別に基づいて定義されている。エドサ3は、対照的に承認と平等な配慮への要求に基づいた概念を提示することで、シティズンシップへの対抗的な要求を演じた。この対抗的な要求は、自らがピープルを代表しているというエドサ2の勢力の自負心に反駁した(457)。

 エドサ2に参加した市民社会組織はセクターに基づいたものであり、共通のイシュー、利益、アイデンティティを軸として結集した。他方で、都市貧困層のコミュニティ組織は地域的であり、共通のローカリティを軸に結集した。エドサ2では、強力な組織的紐帯が動員を媒介にしたのに対して、エドサ3では強力な地域的紐帯と、政治的パトロンとの脆弱で非対称的な紐帯が動員を媒介した(458)。

 エドサ3は、象徴的支配の構造に対する反乱という点で重要だったのである(460)。
2月3日からマニラで調査をしています。時間を見つけて文献も読んでいるので、読書ノートをあげておきます。

Rivera, Temario. 2007. “The Middle Class in Philippine Politics” in Philippine Politics and Governance.


 階級を理解するには、2つの基本的なアプローチがある。ひとつは段階(gradational)アプローチで、もうひとつは関係的(relational)アプローチである。

 「矛盾した位置」(contradictory locations)(ライト):生来的に矛盾した利益によって突き動かされる多様な階層的特長(180)

 様々な程度で搾取者と非搾取者として中間層によって経験される矛盾した位置は、社会における階級闘争と政治的対立において、彼らによって利用可能な戦略的選択を定義する。具体的な歴史的状況によって明らかなように、彼らは、支配的な搾取階級や、主な非搾取階級と政治的同盟を求めるか、彼らの個人としての能力によって搾取階級に参加してきた。さらに、特殊な危機においては、彼らは、広範な多様な階級同盟における指導者と積極的な参加者となりえる。
中間層は、単一的な存在ではなく、実際には宗教、イデオロギー、文化的伝統、ジェンダー、政治的制度、その他の非階級的要素によって政治的実践と傾向が形成された派閥に分裂化してきた(180-181)。

独立以降、中間層はその数はすくなかった一方で、様々な契機に重要な政治的役割を担ってきた。彼らの実際の数からすると不釣合いなほどの政治的役割は、以下の重要な要因によって説明できる。
 第1に、高等教育を受けた中間層は、マニラ首都圏にきわめて集中してきたことである。マニラ首都圏の経済的中心地として役割は、多様な専門家と技術職の需要を生み出してきた。同時に、後の経済的停滞によって、高等教育をうけた層は十分な満足できる職を手にすることができず、そのことは政治的アクティヴィズムの潜在的要因であることがわかった。
 第2に、民主的選挙制度、自由なメディア、市民的・政治的権利の保障は、中間層の主要セクターの政治的能力と自信の発達を促進した。
 第3に、国家支配の外部での中間層の成長は、政治的活動を始める中間層の役割を高めた。
 
 実際の歴史的状況において、中間層の政治的傾向と実践は、右派の保守主義と急進主義から、自由主義と左派の政治的大義までに及んできた。
 戦後の中間層の政治的、社会的行動には、以下の顕著な特徴がみられた。第1に、主な対抗的政治プロジェクトと運動の全ては、中間層が指導者としての役割を果たした。第2に、これらの中間層によって組織化された運動は、以下のイデオロギーの影響をうけていた。マルクス−共産主義、キリスト教の保守主義と急進主義、混合した自由多元主義、そして南部におけるイスラム原理主義と急進主義である。第3に、マニラ首都圏における中間層の集中が、マニラの政治的、文化的中心としての役割を説明する。第4に、かなりの程度の中間層の海外移住が進んできた。第5に、この30年ほど海外で働いてきたフィリピン人からの送金によって、新たな中間層の世代が現れてきた。

1946-1972
 アメリカの利益に従属的な寡頭エリートによって運営されていると見なされた政府に対するオルタナティブなプログラムには、以下のものがあった。マルクス主義−毛沢東主義、キリスト教改革主義と急進主義、自由主義的改革主義
 マルクス主義とキリスト教社会主義運動によるピリピノ語を通じた民族主義的プログラムは、日常的言説に用いられる共通言語の受容性を高めた。エリートによる公的コミュニケーションの手段としての英語使用と、その他の言語集団によるピリピノ語使用に対する反感を考えれば、この国語の政治的大衆化(普及)は、国民意識とアイデンティティ形成にあたって重要な貢献であった(185)。

1972-1986
 マルコス権威主義体制下における中間層の政治(1)共産党指導下のマルクス主義−毛沢東主義組織、より少数のマルクス主義−社会主義組織、(2)キリスト教組織、(3)自由民主主義組織(KAAKBAY, FLAG)、(4)イスラム分離主義(MNLF)、(5)政治化した国軍(PMA)、(6)急速に拡大した国家官僚
 1986年の2月革命 ≒ “middle class revolution”

政治的リーダーシップの源として、中間層(とりわけ最も高い教育を受けたセクター)は、実際に、マルコス独裁体制の官僚、革命的政党のカードル、あるいは国軍のクーデター・リーダーといった全ての種類の政治的プロジェクトに応答してきた(188)。

1986年以降
 民主化による民主的スペースの開放と選挙政治の復活によって、左派から国軍までの中間層の政治の多くは、選挙での合法的競合に収斂していった(189)。
 とりわけ高等教育をうけた層の海外労働者も激増した。彼らのアイデンティティの再形成、彼らとその家族の政治、経済、社会的地位の変容は重要な研究テーマである(190)。

中間層とエストラダ
 エストラダは、1998年選挙において富裕・中間層からロコについで2番目という高い支持を獲得した。その理由は、まずエストラダと組んだアンガラ上院議員とその政党の存在、次に中間層のインテリ、いくつかの開発系NGO、パーティ・リスト政党の支持があげられる(191‐92)。
 反エストラダ運動は、近年の大衆的動員においていくつかの特徴的な点があった。第1に、左派、右派、大ビジネス、労働組合、富裕・中間・貧困層、キリスト教徒とイスラム教徒、共産主義者と反共産主義者といった通常は敵対的な団体の間で、政権を交代させるための特殊な政治的関係が生まれたことである。第2に、大衆動員の脱中心化された自発性である。ヘゲモニックなリーダーシップの中心は存在しなかった(193-194)。

 中間層の政治は、急進、自由、保守まで異なるイデオロギーを共にする一方で、これは高いレベルの教育と生活、様々な形での西洋近代との接触と評価を通じて獲得される一種の近代的意識を体現したものとして考えられる。その例外は、反西洋としてのイスラム知識人であろう。中間層にとって、この近代の様々な側面への希求は、多様な政治的イディオムを通じて節合され、浸透する(194-195)。
 
 マニラ首都圏は、中間層の夢と挫折がとりわけ表れる場所である。なぜなら、マニラ首都圏は、その矛盾したグロテスクな方法で、中間層の家族が構想する「理想の近代」に最も近似しているからである(195)。

 中間層は、フィリピン社会における階層分化と差異を極めて強く認識している。しかし、強い階級意識に根ざした階級闘争の潜在的可能性は、このような階層的差異は教育と勤労意識の涵養によって解決することができるという確固たる信念によって弱められている(197)。

 自らを「民主主義の前衛」として自認していることから、中間層は彼らが貧困層の要求に対して無関心であるということを否定する(198)。

まとめ
 これまでの歴史的契機においてみられたように、中間層出身の者が、あらゆる種類の政治的プロジェクトのリーダーシップを提供してきた。彼らはその数や結束力によって政治的重要なのではない。むしろ、エリートからも下層階級の反体制運動からも高く評価されている、そのテクニカルな能力や政治的組織的技術といった専門性ゆえに重要なのである。組織的にその他の階級や運動と連携することで、中間層の能力、技術、熱望は国家と社会に強く深い影響を与えるのである(200)。
フィリピンについて文章を書いたり話したり、レイテ島で村人と一緒に水道をつくったり、フィリピンにかかわることをいろいろしてきましたが、最近最も「やりがい」を感じているのは、裁判でのタガログ語通訳です。これまで月に、1、2回のペースで通訳をしています。

法廷通訳人としては登録していなくて、もっぱらNGOやフィリピン人の方から委託します。謝礼をだしてくれる方もいますが、お金は要求しません。

フィリピンでご飯を食べている身ですから、ちょっとした恩返しのつもりです。また、タガログ語の勉強にもなります。

裁判になると法廷通訳人が用意されますが、調停の段階でのヒアリングでは通訳を用意してくれません。

裁判所といえば、だれでもナーバスになるもの。しかも外国語でするというのは、相当不安なことだと思います。多くのフィリピンの方は、日本に何年住んでいて日常会話を話すことはできても、裁判所では通訳がほしいと思うようです。裁判所の方が言っていることを正確に理解できるかが不安のようです。それに、NGOや弁護士さんが代弁することもありますが、やはり自分の言葉で話したい気持ちもあるようです。

自分が通訳することで、言葉の問題によって本人が状況を理解できなかったり、裁判所に情報がうまく伝わらなかったり、誤解が生じてしまうことがなくなればいいと思います。

今まで私が通訳をした方たちは、私の通訳にいちおう満足してくれているようでありがたいです。もちろん、自分では、うまく訳せなかったこと、つたなさを痛感します。しかし連続で指名してくれたり、友人の別の裁判に私を紹介してくれるということは、私を信頼してくれているからだと思いますし、ありがたいことです。

地道に研究だけをしていて、直接的に人から必要され信頼されるという経験はなかなかないので、自分でも単純すぎて笑ってしまいますが、俄然張り切ってしまいます。

それに、なんらかの「正義」を声高に叫ぶ社会活動ではなくて、人が話していることを単に訳す、というさばさばしたスタイルも、自分にあっている気がします。

どんなに締切に追われていても、日本のどこに住むことになっても、これだけはコツコツ続けていこうと思います。

また、自分の都合がつかない時のために、将来的にはタガログ語を話せる人で有志がいれば、お互いに紹介し合えるネットワークができればいいな、とも思います。

そういえば、日本で働くフィリピン人弁護士の友人たちが「在日フィリピン人への法的支援をするネットワークをつくる」とか話していたけど、一体どうなったのだろうか。
あけましておめでとうございます。更新と挨拶が大変遅くなってしまいました。

年明け早々、COEでの国際ワークショップ運営のお仕事と投稿論文の校正などに追われてバタバタでしたが、昨日で一段落しました。とはいえ、これから2月にかけての締切が、4つ。

バリバリしている研究者の方は、これくらい当たり前でもっともっと多忙なのでしょうが、私にはアップアップの日々が続きます。とはいえ、そもそも仕事を頂けるだけでありがたいのです。ひたすら感謝感謝なのです。今は、必死アップアップしながら泳ぎ続けていくことが大事なのでしょう。

今日は「することリスト」をまとめ直して、ひとつの作業(助成金の報告書)を書き上げました。

しかし最近本を読んでいません。本を読みたい。博論も進めたいです。


国際ワークショップでは、自分の英語能力の足りなさを改めて痛感しました。フィリピンではタガログ語を混ぜて話をするので、コミュニケーションが楽になるのですが、純粋に英語だけで議論をするのはなかなか大変です。当然ながら、私の「タガリッシュ」はフィリピン限定なのですね。

昨日から、家では英語のインターネット・ラジオでシャドーイング(聞きながら同時に話す)を始めてみました。

次回にこういう機会があれば、もっと上手に英語で報告し、議論できるようになりたいです。
 京都にきてから1ヶ月半ほどがたちました。ようやく、仕事をこなしがら自分の論文に取り組んでいくペースがつかめてきたような気がします。

 今から思えば、九州ではのんびりした院生生活を送っていたものです。アルバイト以外の時間は、ゆっくり本を読んで、自分の論文のことばかり考えていました。
 こちらでは、仕事をして、会議に出て、研究会に出て、いろんな研究者の方々とお話をして、さらに自分の研究をして、となんだか目まぐるしい感じがします。
 今ままでみたいに、ダラダラずっと机の前に座って一つのことをするのではなく、一つ一つの仕事を時間で区切って頭を切り換えてこなしていく必要があるようです。

 有り難いことに飲み会や研究会のお誘いも頂いていて、九州にいたときと比べたらおつきあいする人間関係が大きく広がっていくのを実感しています。恵まれた環境に来たことを改めて痛感します。

 それから、先日に投稿した論文の査読結果が届いて、ついに「掲載可」の言葉を頂きました。結局、1年くらいかかってしまいました。博論の骨子になるものなので、すごくうれしいです。
もちろん、若干の修正が必要で、次号に載せるためには一週間以内にする必要があるとのこと。頑張ろう。

 生活のペースがつかめてきたので、そろそろ読書日記も再開したいです。
この一年半ほどの間ずっと懸案になっていた論文の三度目の投稿をしました。再再投稿です。フィリピン滞在中も、スラムの家の中に引きこもって、ひぃひぃ言いながら書いていました。

再再再投稿が課されることは想定内ですが、これを一段落させて早く次の仕事を進めていきたいものです。切に。

今度こそ査読を通して頂けるかは、学問の神様に祈るしかないですね。

修正稿に目を通してコメントをしてくださった方々、誤字脱字のチェックをしてくださった方々、本当にありがとうございます。


先日、在日フィリピン人女性が、元旦那さんとの子供の親権をめぐる調停を裁判所に求めるということでタガログ語通訳の仕事をしてきました。NGOからの紹介を受けたボランティアで、もちろん無給です。

もちろん、プライバシーに関わるのでここでは書くことできないけれど、彼女はこれまで相当の苦労を重ねてきたようです。こういう話は聞くのに慣れているはずなのに、重たすぎてやはり気が滅入ってしまいます。

そんな彼女と半日話をしていて、彼女の宗教的なスピリチュアルな部分に関心を抱きました。

彼女には、ある聖人の名前が入っているのだけど、「まるで自分には似合わないから、自分の名前を名乗りたくない」のだという。別れた元旦那さんの苗字の方がまだいいそうな。

「私は死んだら絶対に天国に行くわ。だって、生まれてからこれだけつらい地獄を経験してきたのだから。」 私が、これは「試練(trial)だよ」と言って何とか誤魔化そうとすると、「罰(punishment)よ」と言ってかえす。

沈黙。

彼女が、カトリックの大きな物語の中で、現在の受難を理解していることは間違いないと思う。でも、私にはまだそれが内在的にはよく分からない。

フィリピンの人たちの政治に関する感覚、経済生活に関する感覚、尊厳の感覚、そういうものはなんとなく分かるようになってきたのだけど、宗教は本当に難しくてよく分からないです。

たぶん、そんな簡単に「分かる」なんてことはないのだけど。


在日フィリピン人研究には、主に「被害者」を表象するものと、「したたかな」と「エイジェンシー」を表象するものと、「客観的」に制度と統計を示すものがあると思います。

そんなことで、九大のMarioが行っている日比国際結婚と宗教に関する研究は重要だなと改めて痛感しました。
2008.10.21 優秀論文賞
この2週間の間には、とてもうれしく、またありがたいことがありました。

10月11日のアジア政経学会で、『アジア研究』に掲載された拙稿「秩序構築の闘争と都市貧困層のエイジェンシー:マニラ首都圏における街頭商人の事例から」が、優秀論文賞の対象として選ばれ、賞を頂くことができました。

「何とか査読を通して頂ければ」という気持ちで投稿したものが、まさかこんなことになるなんて夢にも思いませんでした。

表彰状を頂くなんておそらく小学生以来で、ましてやスピーチだなんて緊張してあがりまくってしまい、うまく話すことができずに大変でした。たった2分ほどのスピーチでしたが、いつもの学会報告よりも緊張しました。

スピーチ前は、午前中にフィリピン政治について素晴らしくクリアな報告をした高木君に付き添ってもらって緊張をほぐすことができて助かりました。

草稿の段階で建設的なアドバイスをくれた多くの方々、匿名の査読者の先生、編集作業を担当された先生、懇親会で気さくに声をかけてくださった多くの方々、本当にどうもありがとうございます。

 久しぶりの更新になります。実は、この間に九州から京都へ引越しをしておりました。ありがたいことに、京都大学グローバルCOE「親密圏と公共圏の再編成をめざすアジア拠点」が、私を研究員として採用してくれたためです。
 もともとフィリピンの公共圏に関する研究をしていたのと、フィリピン人家族と長期間一緒に暮らした経験から親密圏の変容に対する関心があったことが、応募のきっかけになりました。ややネガティブな理由としては、来年度からこれまでまさに生活と研究の中心の場であった九州大学六本松キャンパスが郊外に移転してしまうということで、図書館や研究室の点で研究環境の悪化が懸念されたこともあります。
 共同の研究室も一昨日より与えて頂き、ようやく研究生活を再開することができました。ネットも今日つなぐことができました。引越し期間は、準備と手続きと送別会の連続で、2週間ほど落ち着いて本を読めない生活が続いていたので新鮮です。
 とはいえ、慣れない京都での新生活のため1人でいることが多いです。そんな時は、これまで九州での研究生活を支えてくれた多くの先生方、先輩、友人たちを思い出して、彼らのありがたさを改めて痛感します。引越し前には、毎晩のように学内外の方々とお酒を呑むことができて幸せでした。どうもありがとうございます。福岡では本当に良い人間関係に恵まれていました。京都でもそうした素敵な人間関係の輪を少しずつ広げていきたいと思っています。
 

石井洋二郎 1993『差異と欲望 −ブルデュー「ディスタンクシオン」を読む』藤原書店
pp.7-70.
 あの難解なブルデューの著書をここまで簡潔に説明できるというのは、本当に職人技で尊敬に値します。文章も上手いしスラスラ読めてしまいます。難しいことを書いているはずなのに、簡単に読めてしまう。こうした文章は、お手本にしたいものです。
 1つ頭をよぎったのは、最近パットナムの議論に基づいて社会関係資本を論じる研究が多いですが、ブルデュー的な視座から社会関係資本を論じなおす必要があるのではないか、ということです。パットナムの議論だけでは、社会関係資本における階級の再生産と排除という契機が看過されてしまうからです。


Robison, Richard and David S. G. Goodman. 1996.” The New Rich In Asia: Economic Development, Social Status and Political Consciousness” in The New Rich in Asia: Mobile-phones, McDonalds and Middle Class Revolution. Routledge: pp.1-16.
 最終仕上げにかかっている論文の参照元をはっきりさせるために再読。内容がうろ覚えになっていたので、参照したページをチェックだけのつもりが全部読んでしまう羽目に。
 (欧米では、)急速に発展するアジアの「ニュー・リッチ」(中間層と企業家)は、アジアをより自由主義的に変えていく普遍的利益を具現しているものとして見なされている。例えば、より合理的、個人主義的、民主的、世俗的、人権と環境と法治主義に関心を抱くといった価値である(p.2)。しかし、彼らは、民主主義、国際主義、世俗主義、市場経済を支持するのと同じように、権威主義、排他的ナショナリズム、宗教原理主義、統制経済主義を受け入れるようにも思われる(p.3)。
 「ニュー・リッチ」は多様だが、彼らの社会的権力と地位を支える共通の基盤は、国家機構や封建的位階制におけるrent や地位ではなく、むしろ資本、資格証明書(credentials)、専門技術である(p.5)。彼らにとって妥協できない利益とは、資本、契約、資産、法治主義といった彼らの社会経済的 地位の新たな基礎を守ることである(p.6)。
フィリピンの場合、アメリカ植民地主義が、農村資本に基き、効果的な階級イデオロギーと組織を伴って、ブルジョワジーを効果的に生み出した(p.14)。フィリピンの中間層は、高度に組織化され、政治的に支配的なブルジョワジーと(must deal with)付き合わなくてはならない(p.15)。